人生の終(しま)い方

最近、「欧米に寝たきり老人はいない~自分で決める人生最後の医療」(宮本顕二・礼子 著、中央公論新社)という本が出版されました。超高齢社会における高齢者医療のあり方について、考えさせられる内容です。ご一読をお勧めします。

かつてはものが食べられなくなったらそれが寿命という認識が当たり前で、ほとんどの方が(たぶん、安らかに)自宅で亡くなられました。しかし今の時代はそうではありません。自力で食事がとれなくても、点滴、鼻からのチューブ栄養、胃瘻等、様々な生き長らえさせる医療手段があります。ご自身がそれを望まれるのであれば全く問題はありません。でも、実際には意識がなかったり自分の意思表示ができなかったりという状態で、家族の希望あるいは医療側の主導で、様々な医療処置を施されるのがほとんどです。そのような状態で、長く病院に入院している方がいらっしゃるのも事実です。施設の場合は胃瘻を造設しなければ受け入れないというところもあるようです。
日本では当たり前と考えられている高齢者に対する医療処置が、北欧やフランスではほとんど行われていないという現状を踏まえて、著者は高齢者医療のあり方について問題提起をしています(「欧米に…」と一括りにしたタイトルは、ちょっと乱暴だったかもしれませんが)。

私を含めてほぼ全ての医師が「延命第一」という教育を受けて来ました。それまで元気だった人(若い方であっても高齢者であっても)が突然病気で倒れる、命にかかわるという場合には、私達医師は迷うことなくその人の救命のために全力を尽くします。それに対してはたぶん誰も疑問を持つことはないと思います。しかし高齢のために体力が低下し、身体の機能が衰えて自力でものを食べたり動いたりすることができなくなった人に対して、「とにかく延命」という考えは、本当に妥当なのでしょうか。人間には寿命があります。いつか必ずお迎えが来ます。それを無視するかの如く、様々な延命処置を施すことが、本当に医療に求められていることなのでしょうか。

医療の役割って何なのでしょうか。少なくともただ単に生命を長らえればいいということではないと思うのです。医療の役割は、その人に寄り添ってその人の生き方を支えることではないのか…、私はそう考えています。ですから、何が何でも生きていたい、長生きしたいとおっしゃるのであれば、そのお手伝いをしますし、もう十分生きたから、これ以上の延命は望まないということであれば、苦痛を与えるような処置は控えて、できるだけ楽に過ごせるような対応をしたいと思います。医療は契約ですので、あくまでもご本人の意思に従うのが医療側の原則です。こういうふうにしてほしいという希望を無視して、医療側が勝手に医療行為を行うことは、本来許されないのです。(もちろん、患者さんの希望が実現不可能なものであったり、あるいは明らかに患者さんに対して不利益を与えるものであり、医療倫理的に受け入れられないものであれば、医療側はそれを拒否することはできます。)
問題はご本人の意思がわからないときです。その場合はご家族の意向に従うことになりますが、たとえ家族であってもご本人の意思をきちんと斟酌できるとは限りません。また家族にしてみれば、少しでも長く生きていてほしいと思うのは当然ですから、迷いながらも延命処置を受け入れることが多くなるのではないかと思います。延命処置を断れば、いつまでもそのことで苦しむことにもなりかねません。実際の場面での決断は、とても難しいと思います。
冒頭にご紹介した本の中では、92歳の女性が娘に残した言葉を紹介しています。「あなたがしてほしくないことは、私にもしないで。」 家族が判断する際の一つのヒントとなるかもしれません。

私も含めて人生の終盤にさしかかっている方々は、もし自分が病気になったときにはどういう医療を望むのか、きちんと考え、ご家族ともよく話し合っておくことが大切なのではないでしようか。

 平成27年7月23日
病院長 藤原正博

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