日本語を大切にしましょう

最近、ある企業では社内の公用語を英語にしたとのこと。また某大学医学部では、教授回診やカンファレンスを全て英語を使ってやっているそうです。私達の母語である日本語を使わずに、英語をコミュニケーションの手段とするメリットはどこにあるのでしょうか。

世界には様々な言語があります。人種としては中国人が最多ですので、中国語を話す人が世界で一番多いのかなと思うのですが、中国語にもいろいろあるようです。
政治やビジネスの世界では、どうやら英語が共通言語となりつつあるようです。かつて英国が世界各地に植民地をつくり、英語を広めたというのが基礎にあるのでしょうが、最近はむしろ米国の「力」が背景となっているような気がします。

グローバリズムとかグローバリゼーションという言葉をお聞きになったことがあると思います。地球主義とか国際化などと訳されますが、これは資本主義が生き残るための必然的なものとされています。どういうことかというと、現在の世界経済の主導権を握っている株式会社は、右肩上がりの経済発展を前提としたものであるからです。先進国においては自国内の右肩上がりの経済膨張は終わりをつげようとしており、株式会社としては、自らの存続を賭けて、右肩上がりの成長を期待できる「未開地」へ乗り出していくことになるからです(「グローバリズムという病」平川克美、2014年)。
米国が盛んにグローバリゼーションを謳うのは当然で、日本でも主として大企業の経営者達が、需要の低迷している日本国内ではなくて、アジアなど他の国々に販売ルートを拡げて自分達の利益を増やそうとしている、そのための掛け声がグローバリゼーション、と言うと、怒られるでしょうか。
経済に疎い私が言うのもなんですが、グローバリゼーションを成功させるためには共通の言語が必要で、それが英語であれば米国にとっては好都合ということなのでしょう。世界(というよりは米国)の動きに遅れをとりたくないと考える日本企業のトップ達が、英語に習熟することを求めるのは当然なのかもしれません。

このような財界の思惑を受けて、政府は小学校低学年からの英語教育を導入しようとしています。その試みが今後の日本社会にどのような影響を及ぼすのか、想像もつきません。母語である日本語をきちんと身につけ、さらにその上で英語を使いこなせるのであれば、いうことなしなのでしょうね。でもそんなことが可能なのでしょうか。
言葉はお互いのコミュニケーションのための手段です。私達日本人は日本語で話をすることで、お互いの意思疎通を図ります。相手が米国人であれば止むを得ず英語を使います。でもその際、全く抵抗なく、苦労することなく英語を使いこなせる人がどれだけいるでしょうか。いわゆる帰国子女で、子供のときから英語環境に身を置いていた人ならいざ知らず、日本にいて、米国人同様に英語を使いこなせるだけの能力を身につけるのは至難の業です。かなりの努力と時間を要します。たぶんそれが可能なのは、それなりの能力を持った一部の限られた人達になるであろうことは、想像に難くありません。そうなると、その一部の人達がグローバリゼーションの主導権を握って有利な立場に立ち、他の人々はその人達の言いなりにならざるを得ない…、その結果、格差が拡大する…、そんな指摘もなされています。
また言葉はその国の文化と密接に関連しています。もし日本が英語圏に組み込まれるとしたら、日本語を基盤として築かれてきた日本文化が変質、崩壊していくことは、避けようがないと思われます。

さて、前から度々申し上げているように、医療は「人と人」です。医療側と患者さん側とのお互いのコミュニケーションが最も重要です。良好なコミュニケーションのためには言葉が必要です。以心伝心というわけにはいかないのです。お互いの母語、即ち日本人であれば日本語で話をすることにより、お互いを分かり合えるのです。
ただその日本語も、最近大きく変貌しつつあります。もともと方言もあって、地域外では意味が通じないという言葉もあるのですが、それとは別に、若者達の間で頻用される短縮語や、英語の語句をカタカナで置き換えて使ってみたり、一見英語のようだけど実は和製英語だったり、使い慣れた人でないと理解できない、つまりコミュニケーションが成り立たないような日本語が出回っているのです。
医療現場においても、医療従事者の間では当たり前の言葉ではあっても、一般の方々には理解できないものがあります。私自身はできるだけ皆さんにわかりやすい言葉を使っているつもりですが、ついつい専門用語が出てしまうことがあります。他の医師が患者さんやその家族と話をしているのを聞いていて、これでは患者さん・家族には伝わらないのでは、と思うこともあります。いくら一生懸命話しても、その内容が相手に伝わらなければ意味がありません。不確実な医療行為の実践にあたっては、相互理解が重要で、後で何か問題が起こった時に、そんなことは聞いていない、いや、きちんと話したはずだ、となったのでは、お互いに不幸です。

英語を公用語とすることを考える前に、日本語をもっと大切にするべきなのではないか…、私はそう思っています。

そういえばこんな話を聞いたことがあります。日本人は日本国内で英語で話しかけられると、何とか英語で答えようとしますよね。それが日本人の優しさなのかもしれませんが、フランス人の場合は自国内で英語で話しかけられると、たとえ英語を理解していても返事をしない、と。何も意地悪だからではなく、フランスにいるのならフランス語をしゃべるのが当然でしょ、ということのようです。
私達日本人も、もっと母語に対するこだわり、誇り、自負心を持ってもいいのではないでしょうか。

 平成27年9月17日
病院長 藤原正博

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