専門医志向の落とし穴

医療ガバナンス学会という学会があり、そこが発行しているメールマガジンがあります。その第114号に以下のような内容の文が載りました。

希少がんの一つである肉腫(詳細については不明)の女性患者で、発症後11年が経過、その間にがん専門病院で19回の手術と6回の放射線治療、5クールの抗がん剤治療を受けられたとのこと。徐々に容態は悪化しているようなのですが、今年の1月以降息苦しさが増強したそうです。当初は肺にある腫瘍が大きくなったことが原因かと考えていたのですが、そうではなくて、抗がん剤治療時に使用したアドリアマイシンという薬の心毒性に基づく心不全だったことがわかりました。病状は悪化して、呼吸困難のために一人では立つことも歩くこともできなくなり、友人に車椅子を押してもらってやっとのことで外来を受診したそうです。これに対してがん専門病院がどう対応したか…。利尿剤を処方し、自宅で休養するよう指示しただけだったそうです。入院させなかった理由は、ベッドに空きがないからということと、この病院でできることは点滴だけだから、ということだったそうです。それにしても心不全でアップアップしている患者をそのまま帰宅させるなんて、ちょっと信じ難いことです。当然ながらこの患者さんはその日の夕方、救急病院に搬送されて緊急入院となったそうです。
この患者さんは最後に、「医療者にはもっと患者目線でものを考えていただき、自分の病院で治療ができないのであれば、治療可能な他の病院や医師に早急に繋いていただくなどの対応を、切に希望します」と述べられています。至極当然です。

長年がんの治療(抗がん剤療法)に携わって来た者にとっては、なんとも情けない、残念な話です。
抗がん剤は昔に比べると大幅な進歩を遂げ、また副作用対策も向上してはいますが、今なお様々な有害事象があります。アドリアマイシンによる心筋傷害はよく知られており、用量依存性であるために総使用量が規制されています。しかしその規制量の範囲内でも発症することがあります。有効な予防法はなく、いったん心筋傷害が発症すると、治す手立てもありません。心不全症状をいかにコントロールするか、が鍵となります。

有害事象が問題になるのは何もアドリアマイシンに限ったことではありません。ほぼ全ての抗がん剤に何らかの有害事象が生じ得ると考えて間違いありません。私達がん治療に関わる医師は、抗がん剤の効果はもちろんのこと有害事象にも十分気を配らなくてはなりません。極端な言い方をすれば、抗がん剤を投与するのは、教科書に従えば医学部の学生にだってできるのです。私達がん治療医の役割は、抗がん剤の有害事象をできるだけ少なくする手立てを講じ、もし有害事象が発現した場合には、それに対して適切な対応をすることなのです。もし自分でうまく対応できないのであれば、それができる医師あるいは病院を紹介するのは当然ですし、自分で抗がん剤を扱うことからは手を引くべきかもしれません。冒頭で述べたがん専門病院の担当医は責められてしかるべきです。

最近の医療は複雑化し、専門分化の傾向が顕著です。また患者さん自身も専門医志向が強くなっています。これはこれで必ずしも悪いことではありません。ただし、患者さんが一つの病気だけを抱えている場合に限りますが…。
若い方であればそういうことはあり得るかもしれません。でも齢をとるにつれ、いろいろな病気を抱えることになります。高血圧であったり糖尿病であったり、いわゆる生活習慣病を持つ方が多くなります。がんそのものが生活習慣病の一つですから、がんに罹るということは、他の生活習慣病も抱えている可能性が高くなります。そうなると、がんの治療だけをやっていればいいというわけにはいかなくなります。患者さんが抱えている他の病気にも配慮しながらがんの治療をしなければならないのです。また先述したように、抗がん剤による有害事象にも対応しなければなりません。そのとき「自分はがんが専門だから、他の病気やがん以外のことは知らない」ということになったら、患者さんは戸惑うばかりです。「私の専門外のことについては、別の適切な医師に相談します」とでも言うのであればまだしも、専門外の出来事については関知せずというような医師には、自分を預けることなどできませんよね。

以前、専門医と一般医(総合医)についての話をしたことがありますが、専門医はどうしても「病気」に目が向きがちです。あなたがそれでいいというのであれば話は別ですが、あなたが自分という一人の人間を診て欲しいと望まれるのであれば、普段はいわゆる総合医(現時点では一般開業医)と、「かかりつけ医」としてうまく付き合うことをお勧めします。健康管理も含めていい関係を築き、もしその先生の手に余る場合には適当な専門医を紹介してもらう…、それが一番いい医師との付き合い方だと思います。

現時点で病気と縁のない方には理解しづらいかもしれませんが、病気になってしまった! たいへんだ! それ、大きな専門病院へ! という思考は、実はあなたにとっては損なのです。予め診断がついている場合は別ですが、新たに診断が必要となった場合、あなたのことを何も知らない病院の専門医が、ひょっとしたら自分の専門外の病気かもしれないあなたの病気を確実に診断するのは、実はそう簡単なことではないのです。専門医はけっして全知全能ではありません。それどころか、自分の専門以外のことについては知識不十分なことが多いのです。もちろん例外もありますが…。
普段は身近なかかりつけ医、必要なときには専門医というように、上手に使い分けていただきたいと思います。

私共の病院も基本的には専門医の集まりです。でも特定の病気(たとえばがん、循環器病など)の専門病院ではありません。総合病院としてほとんどの病気に対応しています。がんについて言えば、県から「がん診療連携拠点病院に準ずる病院」の指定を受け、他のがん診療連携拠点病院に劣らぬ医療を提供していると自負しております。
また二次救急を担当する病院なので、当直医は自分の専門外の患者さんにも対応します。そしてそれを可能としているのは普段の情報交換と学習です。都会の大病院とは違ってお互いの垣根は低いですから、疑問や不明なことについては率直に相談し合い、定期的に学習会を重ねて専門外の病気についての知識習得に努めています。もちろん自分の手に負えないと判断したときには、各専門科の拘束医師を呼び出すことになっています。ですから皆さんには安心して当院をご利用いただきたいと思いますが、ただできれば普段はお近くの開業医の先生をかかりつけ医としていい関係を築いていただき、必要なときに当院を利用していただくというのが最も効率的ではないかと思います。
前から申し上げているように、当院は必ずしも医師数が十分とは言えず、みんながギリギリの状態で頑張っているというのが実態です。そんな中で専門医の能力を活かすためには、限られたものを必要なところに集中しなければなりません。なんでもかんでも病院、ということで大勢の患者さんが受診されると、専門医が専門外の病気の診療に追いまくられ、疲弊し、本来の能力を発揮することができなくなる可能性があります。役割分担が必要なのです。

このコラムを書いているのは、皆さんにいい医療を受けていただきたい、そのためには医療というものを知っていただく必要がある、という私の思いによるのですが、如何でしょうか、少しはお役に立っているでしょうか。
今回の話は、必ずしも専門医がベストではないのですよ、ということをお伝えし、皆さんの医療とのかかわり方を考えていただくきっかけになれば、ということが主眼です。
専門医と一般医(総合医)との役割分担がうまくできれば言うことはありません。でも実際にはそれが難しい地域も存在します。柏崎地域においても近くに開業医がいない所があり、病院を利用せざるを得ない方々が大勢います。それはそれで止むを得ないと思います。ただその際には、病院のメリット、デメリットを十分理解していただいた上でご利用いただきたいと思います。

我が国の医療費は年々増加を続け、今では年間40兆円を超えています。国はその抑制に必死です。このままでは日本経済が崩壊するという国の主張には、私自身は必ずしも同調できませんが、このまま無制限に増え続けてもいいというわけでもありません。節約できるところは節約すべきと考えています。
また医療資源には限りがあります。それを皆さんにもわかっていただいて、上手に利用していただかないと、我が国が世界に誇る国民皆保険制度が崩壊する可能性があります。
保険証1枚さえあれば、いつでもどこでも、好きな医療機関にかかれて、それなりのレベルの医療を受けられる今の制度を維持するのか、それとも貧富の差によって受けられる医療に違いの出てくる米国型の医療に移行することをよしとするのか、決めるのは皆さんです。

平成28年6月2日
病院長 藤原正博

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