収入による医療格差への懸念

以前から米国においては収入と平均寿命が相関することが予想されていました。たとえば州別の健康保険カバー率と平均寿命をみてみると、健康保険カバー率が低い⦅即ち低収入のために保険に加入できない人が多い⦆州は平均寿命が短く、健康保険カバー率が高い州は平均寿命が長いというデータが示されています。そんな中で最近、「米国における収入と寿命との関係(The Association between Income and Life Expectancy in the United States, 2001-2014)」という論文が米国医師会雑誌に掲載されました。
それによると、トップ1%の超富裕層の平均寿命は男性87.3歳、女性88.9歳であるのに対して、ボトム1%の最貧困層の平均寿命は男性72.7歳、女性78.8歳で、超富裕層とは男性で14.6年、女性で10.1年の開きがあったとのこと。
さらに調査した14年間で、所得トップ5%の平均寿命は男性で2.34年、女性で2.91年延びましたが、所得ボトム5%は男性0.32年、女性0.04年のわずかな延びにとどまっています。

収入の違いがなぜ寿命に関係するのかは、生活環境などいろいろな要素があるとは思いますが、収入により受けられる医療内容が違ってくる、言い換えれば低所得者は高額の有用な医療を受けることができない、そのために治る病気も治らない、ということも、一つの理由かもしれません。

米国の医療費が高いということは皆さんもご存知だと思いますが、それをカバーする保険は基本的には民間保険です。そしてその保険料は高額で、低収入の人はこれまで保険に入ることができませんでした。またいろいろな種類があって、保険によってはカバーする医療内容に違いがあります。
そんな状況を改善するはずだったいわゆるオバマケアによって、米国民の全てが保険加入を義務付けられましたが、それは日本の国民皆保険とは全く異なります。オバマケアにおいては、米国民それぞれがそれぞれの収入に応じて保険を買うのです(保険に入らないと罰金が科せられます)。低所得者が買える保険では、当然ながらカバーする医療の範囲は限られることになります。オバマケアによる国民皆保険は国民の健康保持のためではなく、民間保険会社の保険販売の道を拡げただけ、と言うのは、言い過ぎでしょうか。

翻って日本の保険制度がどうなっているかを確認してみましょう。
皆さんひとり一人が保険料(個人により額が若干異なりますが、少なくとも米国の保険料よりはずっと低額です)を納めていることはご存知ですよね。その保険料は国が拠出する分と併せてプールされ、保険者(市町村国保、協会けんぽ、健保組合、共済組合)が管理します。あなたが医療機関にかかり、検査や治療を受けることでかかった費用は、一部(原則3割)をあなたが負担し、残りは保険者がプールしてあるお金から医療機関に支払うのです。しかも高額療養費制度というものがあって、自己負担が約8万円(上位所得者の場合は約15万円)を超えた分については保険でカバーされます。また医療機関についても、自分がかかりたいと思うところに自由にかかることができます。保険証1枚さえあれば、収入の多寡にかかわらず、全ての国民が平等に高いレベルの医療を受けることができるのです。
日本の皆保険制度は社会保障としての意味合いが大きいと言えます。

この世界に誇るべき国民皆保険制度が、米国の圧力によって(?)少しずつ変容しようとしています。
今年の4月、患者申出療養制度がスタートしました。これは、欧米では認可されて使われているが日本では認可されていない薬を患者が使いたいと思った時に、特定の医療機関に申し出ることで厚生労働省が迅速に審査をし、その申し出者に限定して使用を認める、というものです。当然自費になります。そしてこれまでの評価療養とは違って、将来その薬が保険に収載されるのかどうか、全く保証はありません。この制度を利用する人は高額の自己負担が可能な一部の富裕層に限られます。あるいは「そのとき」に備えて民間保険に加入する人が増えるかもしれません(これこそ米国の保険会社の思うつぼです)。
そうしてこの制度を利用する人が増えていけば、医療費を減らしたい国としては、無理に保険収載はしないという方針をとることが予想されます。自費で大勢の人が利用できるのであれば、わざわざ国が金を出す必要はないからです。そうなると所得が低くてお金を払えない人はその薬を使うことを諦めざるを得ない…、そして医療の格差が拡大してゆく…。
これまでは所得にかかわらず全ての国民が同じ医療を受けることができたのに、ひょっとすると今後は所得の多寡によって受けられる医療に差が出てくるかもしれない…、ちょうど今の米国のように…。
それは皆さんが望むことなのでしょうか。

「米国の圧力によって」という言い方をしましたが、米国においては医療はビジネスなので、日本進出を目論む米国企業にとっては皆保険制度は邪魔なのです。これまでも米国が日本政府に様々な要求を突き付け、皆保険制度に風穴をあけようとしてきたことが知られています。そして最終兵器ともいうべきものがTPP(環太平洋パートナーシップ協定)なのです。(ここでは詳しい話はしませんが、関心のおありの方は、堤 未果著:「沈みゆく大国アメリカ」二部作をお読み下さい。)

当たり前と思っていると、その当たり前の大切さが見えにくいのですが、国民皆保険制度も失ってみて初めてその大切さがわかるものなのかもしれません。でもいったん失ってしまったら、取り返しがつかないのです。
今後の医療情勢について、是非皆さんも注意を向けていただきたいと思います。

 平成28年8月4日
病院長 藤原正博

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