無用の用

夏の全国高校野球大会が始まりました。甲子園球場は高校球児全ての憧れの場所です。甲子園に出たい、あのグランドでプレーしたいという強い思いが、日々の苦しい練習を続けられる原動力です。
しかし実際に甲子園に出てプレーできるのは、ごく一握りの選手達だけです。ほとんどの高校球児は甲子園の土を踏むことなく、高校野球から離れていきます。今年の地方大会に参加したのは3,839チーム、その中で甲子園出場はわずか49チームです。

高校もそれぞれで、いわゆる強豪校、有名校には大勢の人が集まります。その学校の周辺だけでなく、市外、(都道府)県外からも入学してきます。 そのような高校では部員が100名を超えるところもあります。でも試合に出られるのは基本的に9名、ベンチに入れるのは地方大会では20名、甲子園では18名です。部員が多ければ必然的にあぶれるメンバーが出てきます。チームの監督の考え方にもよりますが、いくら頑張って練習をしても、3年間一度も試合に出られないという人もいるのです。

試合に出られないその子たちは、じゃあチームにとっては無用の存在なのかというと、けっしてそんなことはありません。彼らが一生懸命練習すれば、それを見ているレギュラー選手は気を抜けません。高校時代は練習すればするほど技量が上達します。レギュラー選手達も負けずに頑張ろうとします。そうでなければ追い越されるからです。その結果、選手全員がさらにレベルアップすることになり、チームの力が伸びることになります。
また練習のためには9人のレギュラーだけでなく、バッティングピッチャーなど他に大勢のメンバーが必要です。たとえ試合には出られなくとも、チームを下支えしていることは間違いないのです。

逆に野球部員が少なく、一校だけではチームが組めず、いくつかの高校が集まって合同チームをつくり、ようやく地方大会に出られるという場合もあります。
一校だけでチームが組めないということは、普段の練習さえままならず、対外試合もできないということです。試合で真剣勝負をすることで技術的にも精神的にも成長するのですが、彼らにはその機会さえ与えられないことになります。

条件はそれぞれですが、どんな状況であっても3年間野球部に籍を置いて頑張る子ども達に敬意を表したいと思います。

表題に掲げた「無用の用」という言葉は「役に立たないように見えるものでも、かえって役に立つこともある。この世に無用なものは存在しない」という意味の老子の言葉です。「老子」には「埴をうちて以て器を為る。その無に当たりて器の用有り」とあります。すなわち、「粘土をこねて器をつくる。器の中にある空間は一見無用に見えるが、その空間があるから器がつくれるのだ」という意味です。この言葉は高校時代の漢文の授業で習い、とても印象に残りました。当時の先生の説明は、「部屋というものは、四方に壁があるからこそ部屋として存在できるのだ」というような内容だったと記憶しています。さらに、歩くに当たっては30センチ位の道幅があれば十分だが、もしその道の両側が断崖絶壁だったとしたら、スタスタと歩けるだろうか、という問いを投げかけられたような気がします。

高校野球に「無用の用」を当てはめるのは不適切かもしれませんが、チームにとってレギュラー以外の選手はけっして無用ではありません。また選手個人にとっても、たとえレギュラーになれず試合に出ることができなくても、一生懸命野球に取り組むことはけっして無駄にはならず、必ず先の人生に役に立つはずです。
この世に無用なものは存在しないのです。いつか自分自身が主役になる日が来るかもしれません。そのときには是非わき役にも心を配り、その重要性を認識してほしいと思います。

この夏、甲子園を目指した全ての高校球児にエールを送ります。

 平成29年8月10日
病院長 藤原正博

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