インフォームド・コンセントを根付かせるために

一時期、人々の医療不信を背景に医療訴訟が増加しましたが、2004年をピークに以後減少に転じました。裁判官が医療の不確実性を理解するようになり、的外れの判決が減ったから、とされていますが、最近再び医療訴訟が増加しているそうです。
ほとんどの医師が、病に苦しむ患者さんを救いたいと考え、使命感に燃えて日本全国、否世界中で奮闘しています。しかし残念ながら全ての患者さんの病気を治すことなどできません。医療側がどんなに頑張っても、亡くなられる方は大勢いらっしゃいます。また患者さん・ご家族が望んでいたような結果が得られないこともあります。うまくいかなかったという結果だけをとらえて、医療側の責任を問われるのは、医療側にとっても患者側にとっても不幸なことではないかと思います。

医学・医療はもともと不確実なものであり、限界があり、それなりのリスクを抱えています。「絶対」ということはあり得ないのです。医療を提供する側も医療を受ける側も、ともにそのことを理解し、受け入れる必要があります。
医療側は「患者の死は医学の敗北」とされたかつての呪縛から解き放たれるべきですし、患者側も「うまくいって当たり前」というゼロリスク信仰から脱する必要があります。
皆さんが何とか病気を治してほしいと医療に対して大きな期待を抱かれる気持ちは十分理解できます。私達医療側はその期待に応えるべく常に全力を尽くしています。でも全ての病気を治せると思うのは、幻想なのです。
こんなことを言ってしまうと身もふたもないのですが、そのことを理解せず、結果が悪ければ医療側が悪いということで訴訟に結びつくようだと、医療崩壊が加速することになります。

不確実な医療の実践にあたって最も重要なことは、医療側と患者側とのお互いの信頼関係です。これなくして医療の実践はあり得ません。
たとえば全身麻酔で手術を受ける時のことを考えてみて下さい。麻酔をかけられたあなたは意識なく、全く無防備な状態で手術台に横たわることになります。自分の身体でありながら何をされているのか全くわからず、目覚めたらおなかに傷があって、痛みで苦しむ、何がどうなったのか…、というのが手術です。メスを握るのが医師で、あなたがその医師を信頼して手術に同意したからこそ、医療側は傷害罪で罪を問われずに済むのです。
手術が無事成功して元気になって退院、ああよかった、ということになれば言うことなしなのですが、全てが全てうまくいくわけではありません。術後に様々な合併症が起こって、そのために命を落とすこともないわけではありません。手術を受けられたあなたはその可能性について医師からお聞きになっているはずですが、覚えていますか?

昔は「お任せ医療(自分は素人で医療のことはわかりませんので、全て先生にお任せします)」だったものが、現在は医療側・患者側が一緒に取り組むことの重要性が認識され、そのキーワードが「インフォームド・コンセント」です。不確実な医療の実践において、お互いの信頼関係を構築するための重要なカギです。
インフォームド・コンセントについては前にも述べたことがありますが、一般の方にはなかなか理解が難しく、医療側でさえ誤解している人がいるのが現状です。
そこで改めてここでインフォームド・コンセントについて考えてみたいと思います。

インフォームド・コンセントという概念は、もともと市民運動の高まりを通じて欧米で生まれたもので、市民運動の基盤に乏しい我が国にとっては唐突な印象をもって導入されました。医療側の都合が大きかったと言えます。しかし今ではこれが医療の基本的理念となっており、好むと好まざるにかかわらず、医療側も患者側もこれに沿った対応が求められます。
導入当初、日本医師会が「説明と同意」と訳しましたが、これは誤訳で、現在は適切な訳語がないため横文字のままで使われています。

インフォームド・コンセントとは、まず医療側が患者さんに対して十分に説明し、その内容を患者さんがきちんと理解し、自分で考え、自分で判断し、いくつかの選択肢の中から自分で選択・決定し、医療側に同意を与えるという一連の過程を含んだ言葉なのです。病気は患者さん自身のものですから、どういう医療を受けるかは患者さんが決めるものであり、患者さんにはその権利があるということなのです。同時に結果についても自分で引き受ける義務があるということになります。
インフォームド・コンセントという言葉は患者さんの側の言葉なのですが、医療関係者の中にはそれを誤解し、インフォームド・コンセント「する」という言い方をする人がいます。これは間違いで、その人がインフォームド・コンセントのことをよくわかっていないからなのだろうと思います。正しくはインフォームド・コンセントを「得る」あるいは「取得する」と言うべきです。インフォームド・コンセント「する」と言う人は、自分が話をすることがインフォームド・コンセントなんだと考えているのかもしれませんが、医療側が話をするのはあくまでもインフォームド・コンセントの入口に過ぎないということを自覚する必要があります。もっとも医療側が話をしないことには何も始まりませんので、患者さんにわかりやすくきちんと話をするというのは、大事な第一歩であることは確かです。

どういう医療を受けるかは患者さんが決めると言いましたが、実際にはそれほど簡単ではありません。それまで全く縁のなかった医療についていろいろな説明を受けても、おそらくほとんどの人はチンプンカンプン、知らない外国語を聞いているような感覚かもしれません。でも頑張って聞いていただかなくてはなりません。後になって「そんなことは聞いていない」ということで訴訟になるのはお互いに不幸なことです。わからないことはドンドン質問しましょう。医師に遠慮する必要はありません。
でも全く知識がないと質問すらできませんよね。ですから皆さんにも医療、特に自分の病気については勉強していただかなければなりません。皆さんは今までの人生の中で何か決め事をしなければならない場面はありませんでしたか? そのとき、全部人任せでしたか? そんなことはないはずです。人生の重大事についてはご自身で決めて来られたのではありませんか? 病気はあなたにとっての一大事のはずです。そうであればその病気にどう対峙するのかは、あなたが自分で決めるのは当然だと思いますが…。
私達はあなたの理解を助けるためにお手伝いをします。でも最終的な決断はあなたがしなければなりません。いろいろ迷って時間がかかるかもしれません。でもいくら時間がかかっても構いません。あなたの一大事なのですから、十分に時間をかけましょう。医療側と様々な話をする中で、お互いの信頼関係を築くことができれば言うことなしです。というよりも、信頼関係を築くことがインフォームド・コンセントの本来の目的なのです。

ただ、意識がない状態で救命救急センターに運び込まれ、一刻も猶予できない場合は例外です。医療側はあなたの救命のために直ちに必要な措置を始めることになります。

面倒な話でしたか? 医療のことなんて素人にわかるわけがない、自分で決めろなんて言われても無理、とおっしゃるのなら、普段からかかりつけ医を持って、その先生と仲良くしましょう。お互いの人となりを知って、しっかりした信頼関係を築きましょう。あなたが病院での治療が必要な病気になったとき、かかりつけ医の先生は当然自分の信頼できる病院の医師を紹介するはずです。病院の初対面の医師とすぐに信頼関係を築くことは難しいのですが、あなたが信頼するかかりつけ医の紹介であれば、とりあえずあなたと病院医師との間には間接的な信頼関係ができることになります。

不確実な医療の実践にあたっては、医療側と患者側との信頼関係を構築することが何よりも重要です。そのためのカギがインフォームド・コンセントなのですが、どうしてもそれに馴染めないというのであれば、この医師になら自分の命を預けても悔いなしと思える医師をみつけて、その医師といい関係を築き、判断を委ねるという選択もありかもしれません。

平成29年9月28日
病院長 藤原正博

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