将来の夢

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

先日、子ども達に「大人になったらなりたいもの」を尋ねたアンケート結果が第一生命保険から発表されました。
男の子の第一位は「学者・博士」、以下「野球選手」、「サッカー選手」、「警察官・刑事」、「お医者さん」と続きます。
一方女の子の第一位は「食べ物屋さん」で、21年連続とのこと。二位以下は「看護師さん」、「保育園・幼稚園の先生」、「お医者さん」、「学校の先生」の順です。
医療に携わる者としては、「お医者さん」「看護師さん」が上位にランクされたのは嬉しいことです。とりあえず現実の厳しさは置いておき、医師・看護師が子ども達の夢の対象であることは、我々の仕事も捨てたもんじゃないなと、ひとりほくそ笑んでいます。子ども達が今思い描いている夢に向かって歩んでくれることを願っています。

皆さんは子供の頃どんな夢をお持ちだったでしょうか。
私は当時絶大な人気を誇ったスーパースター長嶋茂雄に憧れ、将来はプロ野球選手に、と思ったような覚えがあります。たぶんその頃の子ども達はみんなそう思ったのかもしれません。実際中学校・高校時代は野球に明け暮れましたが、段々自分の力を悟るようになり、プロ野球選手への道は断念しました。

高校3年の夏、甲子園を目指した県大会で敗れた時点で、自分の将来を考えざるを得なくなりました。これっ、といった特別な動機があったわけではないのですが、なぜか医学部に進学し、国家試験に合格して医師になりました。この時点ではどういう医師になりたいというような具体的な目標は持っていませんでした。
今もそうですが、医学部を卒業したからすぐに医師として第一線で働けるわけではなく、2年間の臨床研修を行うことになります。現在の研修は科を限定せず、内科、外科、産婦人科、小児科、精神科など様々な科で研修を受けるのですが、当時は卒業時点で専攻科を決めていました。私は内科を専攻し、秋田赤十字病院で研修し、2年間様々な経験を積みました。
内科もいろいろな分野があり、最初は循環器分野に興味を持ったのですが、当時は狭心症あるいは心筋梗塞の診断をつけても内科医は積極的な治療手段を持っていませんでした。今でこそPTCAと呼ばれる詰まった血管を再開させる治療を内科医が行っていますが、当時はバイパス手術のために心臓血管外科に紹介していました。血気盛んだった私はそれに納得できず、診断から治療まで、場合によっては看取りまで全ての段階で患者さんに関われる科、外科には手が出せない科ということで血液内科を選ぶことになりました。今思うととても大それた選択だったなと思います。
現在は循環器内科のみならず、消化器内科などでも内視鏡で早期がんを摘出したり、治療技術を持っています。そういう点では今の医学生・研修医は何を専攻するか、選択に迷うかもしれません。

2年間の研修を終え、新潟大学第一内科に入局し、血液グループに所属しました。2年間の研修である程度の知識と技術を身に着けたつもりだったのですが、先輩達の偉大さを見せつけられ、圧倒され、自分はこの人たちと一緒にやっていけるんだろうかと不安になったことを覚えています。
血液疾患の一つに急性白血病という病気がありますが、当時この病気は治りませんでした。何らなすすべなく、あっという間に死んでしまうと言われた病気でした。ただこの頃から少しずつ治療が進歩し、抗がん剤治療をすることでとりあえず寛解状態(治ったわけではなく、白血病細胞が目に見えない状態)に持ち込めるようになっていました。しかしほとんどが再発し、1年以上生存する人はせいぜい10人にひとりという状態でした。
大学病院の個室に入院している患者さんの具合が悪く、どうすればいいのかわからず、患者さんの部屋の前でドアを開けられずに立ちすくんでいたこともあります。
また病名告知はなされていませんでしたが、患者さんはいろいろな情報を得て、自分が白血病であることを知っていました。ある時ひとりの患者さんに「先生、私って白血病なんでしょ」と訊かれたことがあります。その時私がどう答えたかよく覚えていませんが、そそくさと部屋をでたことだけは記憶に残っています。
なんとか白血病を治したいという思いがその後の私の進む道を決めることになりました。
先輩達とともに当時の最新治療であった骨髄移植(造血幹細胞移植)に取り組み、少しずつ成果が上がるようになりました。
そして平成元年に長岡赤十字病院に赴任、夜も昼もない、休日もないという今考えてみると過労死しなかったことが不思議なくらいの仕事をしました。丁度20年長岡赤十字病院に在籍しましたが、辞めるにあたって20年間の急性白血病の治療成績をまとめてみたら、ほぼ半分の人が治るという結果でした。もちろん私ひとりの力ではなく、血液学そのものの進歩と全国の血液内科医の努力が結実した結果ではあるのですが、つらいことも一杯あったけれど、血液内科を専攻してよかったと思いました。

急性白血病という病気が治るようになったとは言っても、まだ半分です。私達はこれからも努力していかなければなりません。ただ私自身は齢をとって以前のようにがむしゃらに仕事をすることはかなわなくなりました。これからは若い後輩達に私の夢を託したいと思います。

夢は、その実現に向かって努力すれば必ずかなうと誰かが言っていたような気がします。
子ども達は10年、20年先、場合によっては50年先の夢をえがくことは可能でしょうが、私のように齢をとってくると、もはや10年先のことを考えるのは難しくなります。実際私は10年先のことは考えません。でも5年単位であれば夢を描くことは可能だろうと思っています。
齢をとったから夢を見ちゃいけないなんてことはありません。確かに現実的にならざるを得ない部分はありますが、でも夢を持ち続けることは必要なのではないでしょうか。
是非皆さんも自分なりの夢を持って下さい。

そして齢をとった方達は、子ども達や若い人々の夢を支え、見守ってあげましょう。子ども達や若い人々が大きな夢を持ち、その実現に向かって頑張るのを、暖かく見守ることのできる社会であることを心より願っています。

平成30年1月11日
病院長 藤原正博

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