今後の医療のカギは「地域包括ケアシステム」と「かかりつけ医」

先日千葉大学医学部附属病院が記者会見を開き、患者9人のCT検査において、画像診断報告書の確認ミスにより4人の治療経過に影響を及ぼし、そのうち2人が死亡したと発表しました。
死亡したのは60代女性と70代男性。

60代女性は炎症性腸疾患の経過観察のために2013年6月にCT撮影をしたそうですが、その画像診断報告書に腎がんの所見が記載されていたのを担当医が見逃してしまいました。2017年10月に他科でオーダーされたCTで腎がんが認識されましたが、同年12月に死亡したとのこと。

70代男性は皮膚悪性腫瘍の患者で、2016年1月のPET-CTで肺がんが疑われる所見があったそうですが、担当医は報告書の確認を怠り、2017年4月のCTで肺がんが確認され、同年6月に死亡したとのこと。

診断の遅れと死亡との因果関係をはっきりさせるのは難しいところもあるのですが、副院長の市川智彦氏は「この2人の患者については最初の段階であれば治療の選択肢があったと思われるが、新たにがんを認識した時点では手遅れだった」と述べ、責任を認めています。

他の7人についても、結局は担当医が自分の専門外の所見については十分意識を向けられなかったことが原因とされています。

当院も含めてそれなりの規模の病院であれば、X線写真やCTの診断に携わる放射線科の専門医がいます。彼らが発行する画像診断報告書が担当医に届けられ、それを参考にしながら担当医自身が最終的に診断することになるのですが、担当医は得てして自分の専門分野あるいは患者さんの訴えに関連する部分の所見にしか目が向かない傾向があります。あるいは診断を急ぐ場合には、自分で画像を見て診断し、放射線科医師の報告書を確認するのを忘れることがあります。千葉大学の場合は電子カルテが導入されており、画像診断報告書を担当医が読んだかどうか確認する機能が欠けていたとのことで、それが今回の事態に繋がったのかもしれません。
当院では見落とし、見忘れを防ぐため、紙の報告書を作成し、担当医がそれを確認してサインをするというシステムをとっています。

CTは放射線被曝の問題はありますが、病気の診断のためにはとても有用な機器で、そこに現れた所見を見落とすことがないよう、医療側には細心の注意が求められます。「病変は一つとは限らない!」という画像診断の現場での格言を噛みしめる必要があります。

今回のことで改めて問題になったのが、専門医の視野の狭さです。大学は基本的には専門医の集団であり、自分の専門分野については高度な知識・技術を持ち、能力を発揮するのですが、専門外のことについては疎い、というか関心を示さない傾向があります。以前から指摘されているように、病気をみて人をみないと言われても仕方がない部分があります。患者さんにしてみれば、自分は大病院のこの先生に診てもらっているのだから安心という思いがあるかもしれませんが、担当医の目は患者さんが抱えていて自分が担当している病気にしか向いていないことがあるのです。

大学病院だけではありません。専門医が集まっている大病院では同様のことが起こります。
たとえば高血圧あるいは糖尿病などで大病院にかかっている人に検診で胃がんがみつかり、手が付けられない状態だったということがまれにあります。患者さんにしてみれば「ずっと病院で診てもらっているのに、どうして?」と思うかもしれません。でも病院にかかっていれば担当医はあなたの全体を診ているかというと、そうではないのです。病院の規模が大きくなればなるほど、あなたの担当医は高血圧なら高血圧、糖尿病なら糖尿病といった自分の専門としている病気しか診ていないのです。大病院の自分の担当医を信頼するのは大事なことなのですが、全て任せきりにするのではなく、「最近胃の調子が悪いんですけど…」とか、「身体を動かすと胸が苦しくなるんですけど…」とか、「咳が出てなかなかおさまらないんですけど…」とか、「腰が痛くて動くのも容易でないんですけど…」とか、普段と違う気になることがあったら、是非そのことを担当医に伝えて下さい。その時点で初めて担当医の目が他に向くことになります。

一般の方々が大病院を志向される気持ちはわからないわけではないのですが、落とし穴もあることを理解する必要があります。

国は今、地域包括ケアシステムを提唱し、かかりつけ医を持つよう誘導しています。その考えそのものは悪くないと私も思います。ただそのためには地域の受け皿が必要です。国はとにかく医療費の削減のために急性期病床を減らし、入院患者をできるだけ早く退院させたいと思っているわけですが、退院した患者さんの多くが行き場がありません。自宅療養・介護なんて現状ではとても無理、介護施設も不足しています。まずここをなんとかしなければなりません。地域包括ケアシステムが整って、普段は近くのかかりつけ医と仲良くし、必要時はそのかかりつけ医の紹介で大病院を受診するというのが理想です。
そうすればあなたは病気だけでなくあなたという一人の人そのものを診てもらうことができます。大病院の外来患者数は減るでしょうから、大病院の医師にも余裕ができ、自分の専門に集中することができるはずです。

たぶん皆さんは、これから先も今と同じような医療サービスを受けられる、それが当然と思っていらっしゃるかもしれませんが、残念ながらそうはいかないのです。現在の年間医療費は40兆円を超え、今後もさらに増加する見込みです。それを支えているのは若い世代の保険料と税金です。その若い世代が急速に減少し、医療を始めとする社会保障費を支えきれなくなってきているのです。

医療政策において重要な三つの要素があります。「医療の質」「低コストあるいはコストの適正化」「アクセスの保証」です。この三つを同時に実現することは困難と言われているのですが、日本はうまくバランスをとって奇跡的な医療体制を維持して来ました。しかしそろそろそれも限界です。医療体制全体が破綻しないようにするためには、三つの要素のどれかを犠牲にしなければなりません。

「医療の質」を落とすことはできません。「コスト」がかかり過ぎると医療の平等性が失われ、米国のように医療格差が生じる可能性があります。となると残るのは「アクセス」。アクセスというのは医療機関にかかることで、現在の日本の医療はフリーアクセス(誰でも、いつでも、どこでも、自分の好きな医療機関に自由にかかることができる)が特徴です。それを欧米のように制限しようという動きが進んでいます。
英国や北欧では日本のように自由に医療機関を受診することはできません。原則としてかかりつけ医がいます。具合が悪くてもすぐに医師に診てもらうことはできず、まず薬局の薬剤師に相談します。薬をもらって飲んでも状態が改善しないときは、開業看護師に相談します。看護師が医師の診察が必要と判断して初めてかかりつけ医に診てもらうことができるのです。日本のようにすぐに大学病院や専門病院を受診することはできず、かかりつけ医が必要性を認めた場合に大病院を紹介されて受診することになります。
フリーアクセスというのは皆さんにとってとても便利な制度なのですが、これが制限されるとしたら、日本の医療はどうなるのでしょうか。

今求められているのは医療費を減らすことです。今後も国民皆保険制度を維持するためには、医療費の無駄遣いを極力避ける必要があります。何が無駄遣いなのかは議論のあるところでしょうが、国民全体が限られた医療資源を大事に使う意識を持つことが大切です。
かつては大量に獲れた漁業資源が乱獲のために減少し、絶滅を防ぐために漁獲量を制限して漁業資源の自然回復を待つ…、ちょうどそんな感じでしょうか。

具体的には圧倒的に患者数の多いいわゆる生活習慣病を減らすことです。高血圧、糖尿病、脂質異常症(高脂血症)などで治療を受けている人が大勢います。たくさんの薬が使われ、製薬会社は大儲けです。この人たちがかつての日本のようにつつましい食生活をして肥満を避け、車ではなくて自分のアシで移動し、適当な運動をすれば、きっと医療機関にかかる人は減るはずです。
しかし考えてみると、自動車産業を支援し、車の普及を図って来たのはほかならぬ国です。中小の製薬会社を含めて製薬業を支援してきたのは国です。タバコは百害あって一利なしなのに、タバコ産業を保護してきたのは国です。ファーストフード店の展開を制限することなく、国民の栄養が偏ることを野放しにしてきたのは国です。結局国がこれまでとって来た種々の政策のつけが回ったということなのでは…、なんて言うと、どこかからお叱りを受けそうですね。

とにかくこのままでは日本の医療は崩壊を免れません。今後の日本の医療をどうしていけばいいのか、人任せではなく、自分自身の問題として考える必要がありそうです。

平成30年6月28日
病院長 藤原正博

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