余命なんて誰にもわからない

成人T細胞白血病で余命1年以内と言われた患者が、死を覚悟して全ての財産を整理したが、治療が奏効したのか5年以上生存、その結果生活に支障をきたすようになり、損害賠償を求めて医療機関を提訴したとのこと。

今の時代、がん告知は当たり前で、特に若い医師は患者の気持ちを慮ることなく簡単に病名を伝えます。しかし一般の人々にとってはがんという病気はまだまだ特別な病気なのです。
インフォームド・コンセントの時代にあって、昔のように患者さんに病名を伝えず嘘をつき通すなどということはまずありません。患者さんもがんであることを伝えられても比較的冷静に受け止めておられるようです。昔と違って「がん=死」ではないことを理解されているからでしょうか。実際がんの治療成績は向上しており、がん全体としては50~60%が治るようになっています。
しかし半分程度は今もなお治癒が望めず、死と向き合うことを余儀なくされます。成人T細胞白血病も一般的には予後不良の疾患で、造血幹細胞移植以外には完治が困難です。ただ薬物療法の進歩により、比較的長く生存する方が増えているのも事実です。

ある病気に対してどういう治療を受けた患者がどれだけの期間生きることが期待できるかというデータは教科書に載っています。経験の浅い若い医師は、それを見てあとどのくらい(生きられる)という話をするのでしょうが、そのデータはあくまでも集団としてみた場合のもので、個々の患者にあてはめるのは実は難しいことなのです。

がんと診断された場合、患者さんによっては人生の整理をするために余命を教えてほしいとおっしゃる方がいるのは確かです。私も訊かれることがあります。その場合の私の答は「わかりません」です。実際わからないのです。治療が効いて治ることもあるし、全く効果が得られずにどんどん悪くなることもあるし、ときには思わぬ事態で亡くなられることもあります。ですから私は、「この先どうなるかは誰にもわかりません。しっかり治療に取り組みながら、これからの一日一日を大切にしましょう。頑張って治すぞ、という気持ちが大事です。私達はそのためのお手伝いをします」とお話ししています。

ただ、病気が進行していてもはや治療は困難、症状を和らげながら対応するしかないという場合には、経験のある医師であればある程度余命を予測することは可能です。しかしその場合でも、心ある医師は「あと何か月」というような紋切り型の告知はしません。「年を越すのはむずかしいかも…」「来年の桜はどうでしょうかね…」といった言い方をすることが多いと思います。「何か月」と言い切ることが難しいことを知っているからです。

ヒトには寿命があっていつか必ずお迎えが来ます。しかしそれがいつなのかはわかりません。わからないから深刻にならずに生きていけるのでしょうが、命が限られていることを目の前に突き付けられたら、ほとんどの人が動揺すると思います。でもそれを受け入れなければなりません。そしてほとんどの人はいろいろな葛藤はありながらも受け入れることができているようです。
そうは言っても死をひとりで受け止めるのは大変なことです。そんな時こそご家族とともに私達医療者の役割が問われるのだろうと思います。

がんという病気の治療が進歩しているのは間違いありません。しかし依然としてがんのために亡くなる方がいるのも確かです。治るにしても治らないにしても、がんと伝えられたことでほとんどの方が死を意識すると思います。それまで考えてもみなかった「死」を想い、「死」に目を向けてみることは、結果的にがんが治った人にとっても重要なことなのでは…、と私は思います。おそらく「生きる」ことを大切にすることに繋がるはずだから…。

 平成30年8月9日
病院長 藤原正博

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