解剖について

皆さんは「解剖」という言葉をお聞きになった時、どのような思いを抱かれるでしょうか。あまりいいイメージをお持ちではないかもしれませんが、でも医学・医療の進歩にとってはとても大事なものなのです。

解剖には4つの種類があります。
まず系統解剖。これは医学部・歯学部の学生が人体の仕組みを理解するために行うもので、死後の献体を申し出られた方のご遺体を使わせていただきます。
次が病理解剖。病気で亡くなられた方を対象として、臨床診断の妥当性、治療効果の判定、直接死因の解明、合併症や偶発病変の発見などを目的とします。
三つ目が行政解剖。死体解剖保存法に基づいて、主に監察医が行うもので、死因のはっきりしない犯罪性のない異状死体に対して、死因の解明のために行われます。
もう一つが司法解剖。犯罪性のある死体またはその疑いのある死体の死因などを解明するために行われます。

ここでは病理解剖(剖検)のお話をしたいと思います。

病気にはならないに越したことはありません。でもなかなかそうもいきません。病気になった場合にはその病気が治ることを本人も家族も、そして私達医療スタッフも望みます。しかしどう頑張っても治せないことがあります。病気が進行して治療の効果が得られなくなり、そして亡くなられる…。その過程が周りの人々にとって了解できる、納得できるものであれば、静かにお見送りすることができると思います。しかし思わぬ形で突然亡くなられたりすると、残された人々にとっては「なんで?」という思いが残ります。これはご家族だけでなく私達医療側にとっても同様です。
納得がいかないまま患者さんが亡くなられると、どうしても釈然としないものが残ります。この方はこういうことで亡くなられたんだという納得できるものがほしい…、そう思うのが自然です。

その「なんで?」という思いに応えるために行われるのが病理解剖です。解剖による検査という意味で、「剖検」とも呼ばれます。

昔CTやMRIなどがなかった時代の診断精度は、現在に比べればかなり低かったことは確かです。その時代においては、患者さんが亡くなられると、自分の診断に間違いはなかったのか、治療は適切だったのかなど、自分の診療を振り返るために解剖は必須でした。解剖をすることで思わぬ病変が見つかったり、ああ、やっぱりそうだったのかと納得する所見が得られたりしました。そういったことを積み上げて自分の医師としての力量を向上させていったのです。

東京大学名誉教授の冲中重雄氏が、自身の東京大学退官時(1963年)の最終講義において、自分の誤診率は14.2%だったという話をされたのは有名で、これを聴いた人々がどよめいたという話が伝わっています。なぜどよめいたか…、それは当時としては格段の誤診率の低さだったからです。つまりかつては2割から3割の誤診があったということなのです。
それから50余年、診断技術の進歩には目を見張るものがあり、誤診ゼロというわけにはいきませんが、かなり少なくなっていることは間違いありません。皆さんは誤診なんてもってのほかとおっしゃるかもしれませんが、医療は今なお不確実で限界があり、100%ということはあり得ないのです。このことは単に医師の技量の問題ではなく、医療そのものの限界なのです。
亡くなられた方の身体の中で何がおこっていたのか、それを解剖によってはっきりさせることは、様々な診断技術が進歩した現在であっても、十分意義のあることなのです。

しかし実際には患者さんが亡くなられたときに解剖の話を持ち出されると、ほとんどのご家族が「これ以上本人に苦しい思いをさせたくない」「身体に傷をつけるのはかわいそう」「早くウチに連れて帰りたい」とおっしゃいます。そのお気持ちは十分理解できます。私だって昔のように(大学時代は患者さんが亡くなったら解剖を依頼するというのは、半ば義務のようなものでした)機械的に解剖の話を持ち出されるのであれば拒否するかもしれません。でもなんで死んだのかわからないということになると、その疑念をずっと引きずったままでいくことは、たぶん本人にとっても家族にとってもつらいことなのではないでしょうか。
この人はこういうことで亡くなったんだという納得を得るためには、解剖も必要なのではないかと思います。

医師および医療側のスタッフにとって、解剖をお願いしたときにそれを許していただけるご家族との信頼関係を築く必要があります。病気がよくなってみんなが笑顔で退院できる場合は特に問題はないのでしょうが、そうではなく、残念ながら患者さんが亡くなった時にご家族がどういう思いを抱いてくださるのか、そのあたりが医療側に問われるのだろうと思います。

平成30年10月11日
病院長 藤原正博

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