がん治療における緩和ケア

前回のコラムで、大病院でがんの治療を受けていた患者さんが、種々化学療法で効果が得られず、担当医に「ウチではもうやることがないので、あとはホスピスなどで緩和を」と言われて途方に暮れ、がん難民となる、という話をしました。緩和ケアというものが今なお医療現場では十分理解されていないんだなぁと思わざるを得ません。

緩和ケアの対象は何もがん患者だけではありませんが、ここではとりあえずがんに限定して話をすることにします。

まず皆さんは緩和ケアをどのようにとらえていらっしゃるでしょうか。どこかの大病院の医師が言うような、抗がん剤が効かなくなった後の姑息的な対症療法、即ちターミナルケア? もしそう考えておられるとしたら、それはとんでもない勘違いです。確かに昔はそうとらえられた時期もありました。でもその後のがん治療の進歩の過程で、緩和ケアは、がん治療における基本的部分を占めるものであることが認識されるようになったのです。
平成19年に策定され、24年に見直された「がん対策推進基本計画」においても、「がん患者とその家族が可能な限り質の高い生活を送れるよう、緩和ケアが、がんと診断されたときから提供されるとともに、診断、治療、在宅医療など様々な場面で切れ目なく実施される必要がある」とされています。

今でこそがんの約半分は治る時代となっていますが、昔はがんは治らない病気でした。それが一部のがんを治せるようになったことで、医療側はがんを治すのが当たり前、治せなかったら医学・医療の敗北(私も昔、そう教えられました)、という大きな誤解を抱くようになってしまったのです。がんを治すためにあらゆる手を尽くす、ということになったために、がんという病気を抱えている「患者さん」に目がいかなくなってしまったのです。
手術後に何か生活に支障をきたす事態になったとしても、「命が助かったのだからいいんじゃないの」「そのくらい、我慢しなさいよ」、抗がん剤で患者さんが苦しんでいても、「抗がん剤は副作用があって当たり前」「副作用が強く出るのは効いている証拠」などと強弁し、患者さんの抱える苦痛から目を背けてきたのです。さらにがんが治らないということになると、そのがんを抱えている患者さんそのものに関心がなくなってよそよそしくなる…、残念ながら一時期(ひょっとすると今でも?)そういうことがありました。
でも現在のがん医療においては、患者さんの苦痛を緩和することの重要性が強調されるようになっています。

がんの患者さんは様々な苦痛を抱えます。がんという病気そのものによる身体的な痛みが出ることもあります。今までできていたことができなくなることでのつらさを感じます。高額な治療費に対する不安、家族や仕事への思い、その他諸々の社会的苦痛を感じます。この先自分はどうなるのかという不安、いらだち、恐れ、孤独感を抱き、様々な精神的苦痛を味わいます。生きる意味を自問したりするいわゆるスピリチュアルな苦痛もあります。自身の力だけでこの苦痛から抜け出すことは困難です。私達医療側の人間は、患者さんの様々な苦痛を理解し、患者さんの思いを支えなければならないのです。

そうかといって大上段に振りかぶる必要はありません。実は緩和ケアというのは、「すぐそこにある当たり前の医療」なのです。たとえばかぜをひいて熱がある、のどが痛い、咳が出て夜眠れないなどの症状があれば、解熱鎮痛薬や咳止めの薬を使います(誤解のないように申し上げますが、これらはあくまでも対症療法であって、かぜそのものを治すものではありません)。これは医師であれば普通にできることです。そしてこれが緩和ケアに他なりません。
がんだからといって、特別構える必要はないのです。がんの患者さんが抱える苦痛を理解し、その苦痛を和らげるための知識と技術を持つことは、全ての医師に求められることなのです。少なくともがんの治療に関わる医師であれば、外科医であろうと放射線科医であろうと、あるいは抗がん剤を使う腫瘍内科医であろうと、緩和ケアの知識と技術は身につけておくべきです。そういう知識と技術を持たず、患者さんではなくがんという病気しかみていない医師には、がん医療に携わる資格はないと私は考えています。
ただし、がんの患者さんを医師ひとりで支えるのは困難なので、看護師、薬剤師、臨床心理士、リハビリ技士、医療ソーシャルワーカーなど、様々な職種が、その時々に応じて関わる必要があります。病院によっては「緩和ケアサポートチーム」を組織しているところもあります。当院にもあります。

緩和ケアの本来のあり方を理解しているならば、「ウチではもうやることがないので、あとは緩和へ」というような言い方はけっしてしないはずです。このような言い方をするからそれを聞いた患者さんは、「ああ、自分は放り出されて、もうすぐ死ぬんだ」と絶望してしまうのです。
医療の役割って何なのでしょうか。病気を治すというのも確かに一つの役割ではあると思います。でもそれだけではなく、病に苦しむ患者さんと共に歩みながら、患者さんの希望を支えることも大切な役割で、そしてむしろこちらの方が重要なのではないかと私は考えています。病気を治すことが希望だと言われてしまうと、それを支えるのは難しい場合もありますが、たとえ病気が治らなくとも、患者さんは何らかの希望を持っているはずです。それを支えることであれば、私達も少しはお役に立てるのではないか…、そんなふうに考えています。

緩和ケアが特別視される理由の一つに緩和ケア専門医、ホスピス、ビハーラ、緩和ケア病棟の存在があります。これらの意義を否定するわけではありませんが、一般の人々にとってはちょっと違和感を覚えるものかもしれません。緩和ケアを提供する特別な施設というのはどうやら日本独特の考え方のようで、欧米では在宅での緩和ケアが一般的と言われています(もちろん施設ホスピスもないわけではないのですが…)。病院の医師から「では、あとは緩和ケア病棟へ」と言われると、今までとは違った何か特別なことをやることになるのか、と考えてしまうのは当然かもしれません。

緩和ケアが特別視されるもう一つの理由、それは一般の方々(および、ひょっとすると一部の医療者)のモルヒネに対する過剰な意識です。モルヒネ=麻薬=末期=中毒になって頭がおかしくなる、というのがたぶん一般の方々のイメージではないかと思います。
モルヒネ、オキシコドン、フェンタニルなどのいわゆる麻薬は、実はとても優れた鎮痛薬なのです。がんの痛みは普段の診療で使われる一般的な鎮痛薬ではうまくコントロールできない場合があります。そんな時、麻薬は役に立ちます。日本では痛みを我慢するのが美徳のように考えられてきた面がありますが、がんの痛みは我慢しても何のメリットもありません。死ぬまで痛みはとれませんし、強い痛みはその人の人格を崩壊させることさえあります。強い痛みに苦しんで早くあの世に逝きたいと言っていた患者さんが、痛みがとれたことで生きる意欲を取り戻すこともあります。痛みを我慢するのは損なのです。
欧米ではかなりの量の麻薬が使われていますが、日本での使用量は少ないままです。患者さんの苦痛を和らげるために、もっと積極的に使う必要があります。欧米ではがん以外の病気による痛みのコントロールにも使われています。
痛みに対してモルヒネを使うことで中毒になることはありませんので、ご心配なく。

がんという病気になった時、治る可能性がある場合は頑張って治す努力をしましょう。もちろん、高齢などの理由で治すために苦しい思いをすることを望まない方もおられるかもしれませんので、それはそれでその方の意思を尊重すべきです。
がんが治らないとなった時、まずその事実を受け止めることが必要です。けっして「がんになってお先真っ暗」ではありません。人間には寿命があるのですが、それまでは意識しなかった死を意識し、残された人生の中に自分なりの希望を見出し、充実した時間を過ごすことは、けっして絵空事ではありません。大事なのはがんという病気につぶされず、がんと共に自分らしく生きることなのです。私達医療者は、そんなあなたを全力で支えます。緩和ケアはそのための一つの技術であり、けっして特別なものではないのです。

モルヒネによる痛みのコントロールを例に挙げましたが、がん患者さんは他にもいろいろな苦痛を訴えます。吐き気や嘔吐、下痢、便秘などの消化器症状、呼吸困難や咳などの呼吸器症状、そして様々な精神的苦痛…。緩和ケアはそれらに対しても対応する術を有しています。

緩和ケアはすぐそこにある当たり前の医療です。何も肩肘張って構えるようなものではないのです。がんの治療を受けているあなたと共にあることをご理解いただければ幸いです。

平成28年4月7日
病院長 藤原正博

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