刈羽郡総合病院の生い立ち (NO.2)

前回は戦前の病院の生い立ちについて触れましたので、今回は終戦後からお話しいたします。

本日(6/28)現在、NHKの連続TV小説『おひさま』はようやく第二次世界大戦が終わろうとしています。ドラマでもわかるように日本全体が激動の時期だったわけですが、北半田移転前の病院は、この戦後の混乱の中で地域の熱意と期待を込められ新築構想が進んでいきました。

そして昭和21年11月、市内学校町2番47号で新築工事が始まりました。今の『市立図書館・ソフィアセンター』が立っている場所になります。

ちなみに本会他病院が移転した跡地は、次のように地元市町村の施設や同業種として活用されています。

    糸魚川総合病院   →  糸魚川市ふれあいセンター

    上越総合病院    →  有料老人ホーム

    長岡中央綜合病院  →    〃

    豊栄病院      →  市立保育園

戦後の資材不足から、工事は難航しましたが、1年半かかって昭和23年5月に完成し、昭和23年6月1日に移転しました。

移転の日は本当に暑い日で、リヤカー・自転車で荷物を運び、患者は看護師が担架で移送、患者家族も七輪・釜・日用品を持ち、行列が続いたとのことで市民の語り草となったそうです。

ここ学校町での診療は、平成3年6月に現在地の北半田へ移転するまで約43年間続きました。

昭和27年5月に、組織変更により新潟県厚生農業協同組合連合会:刈羽郡病院となるとともに、結核病棟(25年)・柏崎市委託病棟(30年)・精神病棟(38年)・大増改築(55年)と着々と近代化していき、移転当初の病床数は100床に満たなかったものが、最終的には370床(一般272床・精神98床)になりました。

しかしながら、40年も経過しますと建物のあちこちで老朽化が進み、近代的医療の要求に応えられなくなるとともに、患者さんの療養環境も悪化し、新築の声が各所から出始めます。

昭和62年に病院創立50周年記念祝賀会が開催され、当時の県厚生連:馬場会長から移転新築に向けた基本方針が伝えられ、柏崎市長・医師会長の賛意と協力の意向表明があり、本格的に具体化していきました。

そして平成元年に開設申請が出され、3年6月に完成、現在地へ移転し今に至っております。

 

将来的にはこの地からさらに移転する可能性が無い訳ではありませんが、現在地は柏崎インターに近く、さらに国道8号線の拡張計画もあり、交通の要衝に位置しています。

赴任後一年経過しようとしているところで、事務長としてほんの少しわがままを言わせていただけると、もうちょっと柏崎駅からの道路が整備されるといいなあと思っています。

カテゴリー: 事務長の部屋